【90】大島康徳の野球解説に親しむ [保育園送迎記]
先週末から夏期休暇という勤め人が多いと見えて、保育園は閑散としている。息子夫婦は、夏期休暇をずらして今週末からにしているようだ。私も現役時代はそうしていた。電車がガラガラにすいていたり、オフィスも人が少なく、かえって仕事もはかどったりして快適だったのを覚えている。
この夏は私の父の初盆になるのだが、お盆にはお寺さんはむろん大忙しだから、先月末に法事はすませた。いつものように、あわただしい帰省だったが、久しぶりに中学時代の仲良しが5人集まって一杯飲んだ。中学時代からの友人8人が仲間を作っているのだが、付き合いは途絶えない。しかし、6月にそのうちの1人が膵がんで亡くなった。1年前に電話で話したときにすでにこうなることを覚悟していて、さばさばしていた。中学時代から頑丈な男で、高校を卒業して大阪府警で白バイに乗っていた。よりにもよって、あんなに元気な男がとみんなで悼んだ。電話で話したとき、お互いの病気を話して、「俺たちもそういう年になったのだな」とうなずき合ったものだった。
集まった5人の仲間も私の肺をはじめ、心臓やら大腸やら糖尿やら、年相応の病気持ちである。人一倍働き者だったり、酒飲みだったり、無理がたたっている。当たり前だが、原因があれば結果がある。因果応報である。後悔先に立たず。
それにしても暑い日が続く。身体のだるさ、息苦しさ、立ちくらみもいっこうに治らない。つい絶望的な気分に陥る。夜、何度か目は覚めるが、睡眠はよくとれていて、食欲もある。だが、午後になるとだるさが増してくる。立ち上がって歯磨きをすることすら立ちくらみで満足にできない。どなたかこの身体のきつさを和らげる方法をご存知ありませんかね。
突如話は転換するが、大島康徳はプロ野球中日などで活躍した大分県(中津)出身の元スラッガーである。ホームラン王にもなったことがある。今は野球解説者としてNHKなどでプロ野球や大リーグ中継で歯切れのいい解説を聞かせてくれている。この人がステージ4の大腸がんのキャリアである。肝臓にも転移していて、抗がん剤の治療を受けているという。さすがに外見はやつれているが、いたって意気軒昂。人知れぬ苦労はあるのだろうが、そこはプロだから弱音は見せずいつも前向きである。この人ががんの告知を受けたのが2016年の10月で66歳だったという。私が2度目の手術をしたのも2016年の秋だった。年は私の方が3歳下であるが、この人の野球解説を聞くたびになんともいえぬ親しみを感じるのである。
つい、テーマにそぐわない辛気くさい話になってしまう。反省せねばならぬ。ま、このブログを読んでいるのはごく少数のよほどの奇特な人と思われるので、かまわず語り続けていくことにする。お盆休みということもあり、昨日、保育園にタックンを迎えに行ったら、クラスで1人になってて、隣のクラスで遊んでいた。今日はさみしい思いをさせないように少しは早く行かねばならぬ。
↓会社勤めこそやめましたが、こういう本を作るのが本業の自営業者なのです。
この夏は私の父の初盆になるのだが、お盆にはお寺さんはむろん大忙しだから、先月末に法事はすませた。いつものように、あわただしい帰省だったが、久しぶりに中学時代の仲良しが5人集まって一杯飲んだ。中学時代からの友人8人が仲間を作っているのだが、付き合いは途絶えない。しかし、6月にそのうちの1人が膵がんで亡くなった。1年前に電話で話したときにすでにこうなることを覚悟していて、さばさばしていた。中学時代から頑丈な男で、高校を卒業して大阪府警で白バイに乗っていた。よりにもよって、あんなに元気な男がとみんなで悼んだ。電話で話したとき、お互いの病気を話して、「俺たちもそういう年になったのだな」とうなずき合ったものだった。
集まった5人の仲間も私の肺をはじめ、心臓やら大腸やら糖尿やら、年相応の病気持ちである。人一倍働き者だったり、酒飲みだったり、無理がたたっている。当たり前だが、原因があれば結果がある。因果応報である。後悔先に立たず。
それにしても暑い日が続く。身体のだるさ、息苦しさ、立ちくらみもいっこうに治らない。つい絶望的な気分に陥る。夜、何度か目は覚めるが、睡眠はよくとれていて、食欲もある。だが、午後になるとだるさが増してくる。立ち上がって歯磨きをすることすら立ちくらみで満足にできない。どなたかこの身体のきつさを和らげる方法をご存知ありませんかね。
突如話は転換するが、大島康徳はプロ野球中日などで活躍した大分県(中津)出身の元スラッガーである。ホームラン王にもなったことがある。今は野球解説者としてNHKなどでプロ野球や大リーグ中継で歯切れのいい解説を聞かせてくれている。この人がステージ4の大腸がんのキャリアである。肝臓にも転移していて、抗がん剤の治療を受けているという。さすがに外見はやつれているが、いたって意気軒昂。人知れぬ苦労はあるのだろうが、そこはプロだから弱音は見せずいつも前向きである。この人ががんの告知を受けたのが2016年の10月で66歳だったという。私が2度目の手術をしたのも2016年の秋だった。年は私の方が3歳下であるが、この人の野球解説を聞くたびになんともいえぬ親しみを感じるのである。
つい、テーマにそぐわない辛気くさい話になってしまう。反省せねばならぬ。ま、このブログを読んでいるのはごく少数のよほどの奇特な人と思われるので、かまわず語り続けていくことにする。お盆休みということもあり、昨日、保育園にタックンを迎えに行ったら、クラスで1人になってて、隣のクラスで遊んでいた。今日はさみしい思いをさせないように少しは早く行かねばならぬ。
↓会社勤めこそやめましたが、こういう本を作るのが本業の自営業者なのです。
2018-08-14 13:01
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