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【91】縄文時代も今夏のように暑かったか? [保育園送迎記]

 昨日今日と朝夕は過ごしやすくなりました。ですがまた来週から30℃超の日々が待っていそうです。ただ、少しはましになってくるんじゃないかな。伝えられるように、アメリカでは大規模な山火事、ヨーロッパやインドは40℃半ばにもなる高温や洪水、世界中が炎暑に苦しんでいます。地球温暖化はすでに制御不能の段階に至ったのか。それとも一時的な現象か。

 いま上野の国立博物館で開催されている縄文展。日本の縄文時代と称される紀元前の1万年は、地球の寒冷期が終わってから始まったそうである。文字に記された歴史がないために、残された遺跡や土器、石器などをたよりに1万年の縄文人の暮らしや人生をたどると、思いのほか豊かな社会が営まれていたことがわかる。北海道から沖縄まで、遺跡はいっぱいあるし、人が長距離を移動して交易を繰り返していたこともわかっている。特に縄文土器と呼ばれる壷やら土偶など、当時の世界にあってもこれほどの土器の発展を見たのは日本だけだあるそうだ。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』でも繰り返し述べられている通りである。

 縄文時代は縄文海進といって、現在よりも海水面が5m高く、気温は1〜2℃高かったそうな。縄文時代の遺跡も北関東や長野から北陸、東北地方が多い。今よりも暖かかったので、青森辺りが気候的にも過ごしやすかったのかもしれない。三内丸山遺跡をみればいい。関東平野はほとんどが海や湿地であったろう。私の住んでいる船橋市北辺や鎌ヶ谷のあたりに貝塚など含んだ遺跡があるが、このへんが海岸線であったことがうかがわれる。

 昨日、孫たちを保育園に送って行って、久しぶりに(多少は)過ごしやすい1日になりそうだったので。思い立って1人で上野に行ったのであるが。さすがに夏休みとあって、朝から人出が多い。私が平成館を出る頃には入場制限までかかっていた。おまけに暑さも増してきて、やはり快適とは言えない夏の日であった。

 上野から池袋に回って、ランチを当地に住む気の置けない友人とともにして、西口の界隈を少し歩いてみた。池袋は以前にも書いたが、私の浪人、学生、社会人のスタートの時代を過ごした因縁の地である。上京して最初に降りた池袋駅の人の多さに圧倒されてから、結婚して長男が生まれるときに船橋の住宅公団(当時)の団地に引っ越しするまでの間である。

 タイムスリップしたような午後を過ごして帰ってきた。今日から来週いっぱいは息子家族の夏休みで、保育園通いも休み。暑いと言って怠けてきた本来の私の仕事もたまっている。机には送られてきた原稿が積み重なっている。避けてきた労働に向かわなくてはならない。体調も回復してくれるだろうか。これが一番の気がかりである。

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田島清志

早速、ブログ拝見しました。
縄文展、私も見にいってきました。1時間ちょっとしか時間がなかったので、後半の展示ははしょってみることに。土偶と対面しながらしみじみとした時間を送ろうと思ったけど、叶わぬことに。それはそれとして、「縄文のビーナス」などは芸術というか神域に達している。現代を超えている縄文、だ。大したものだ。
by 田島清志 (2018-09-26 18:45) 

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