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【1】要介護3の認定を受けてから [保育園送迎記その後]

「保育園送迎記」というカテゴリー分けはおかしいと思いながら、そのままにしていましたが、わが孫たちも中3、小4、小1となり、保育園は関係なくなりましたので、安直なカテゴリーを付けてみました。意味はありません。まあこの通りなんですが、なんとも芸のないな感じがしますね。

 私は現在要介護3という認定を受けているんです。最初に認定を受けたのは2年半前の入院中でした。当時は車いすで病院内を移動し、トイレに行くにも看護師さんを呼んで運んでもらうような状態でしたので、要介護3状態だったんです。退院しても、エレベーターなしの3階建てマンションの2階にあるわが家に自力で階段を昇って帰れるか絶望的でした。退院の日は体力のある息子の嫁さんの力を借りて、階段を昇りました。

 退院してしばらくは、風呂に入るにも、補助具を取り付けて、訪問看護師さんが介助してくれていました。現在はなんとか当時よりは体力が回復し、自力で階段を昇り、風呂も一人で入っています。だから認定をやり直せば多分要介護1にもいかない要支援じゃいないかなと、ケアマネジャーさんは言います。ところがここ数年のコロナ禍で認定改定が行われずに据え置きのままになっているのです。

 このブログでもなんどかふれていますが、2011年、16年と2度も肺がんの除去手術をしました。2度目の時は5年生存率は45%だったんですが、その5年を過ぎて、転移も再発もなしに現在のところ過ごしています。もちろん体力はずいぶんと落ちていますが、問題は非結核性抗酸菌症という感染症に罹患していることです。抗酸菌というのは何百種類もあって、土の中水の中どこにでもいるそうです。シャワーヘッドの中などにいることもあります。(これらはぜんぶあとになって知ったことです。今回のコロナでもそうですが、われわれは感染症の実態をもっと知らなければなりません。)

 私の場合、どこかの時点で感染していたのが、手術等で免疫力が落ちた時に発病したものと考えられます。2回目の手術の後、からだのだるさや体重減少が続き、とうとう歩くことすら困難になって、入院することになりました。そして、いろんな抗生剤を処方されましたが、どれも効果を示さず、処置なしとして退院させられたのです。耐性菌などの問題もあり、抗生剤を無原則に使うことはできません。その時に介護保険の手続きをし、介護認定を受けたのです。

 私は、市民農園でまねごとの野菜作りを10年以上やってきました。やってみればわかりますが、いずれも素人が野菜作り、土づくりをします。きちんと管理されているとは言いがたいものがあります。たぶん、あの10年間の畑作業の中のどの時点かで感染したのではないかと思っています。もちろんたしかなことはわかりません。みなさんもコロナ禍にかかわらず、畑作業をするときは手袋して、しっかり手洗い、シャワーなどを励行してください。

 耐えられないような蒸し暑い日々が続いています。コロナ禍は様相を変えながらも猖獗を極めています。今回の7波は身近な人があちこちでかかっているような状態です。この夏を何とか乗り切りたい。そう願う毎日です。
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【182】夏休みと52年目のビートルズ [保育園送迎記]

 蒸し暑い日が続きます。熱中症に気をつけてください、とのべつまくなしに言われていますが、さらにコロナ禍の猛威です。とくに高齢者はたまったものではありません。持病が悪化してなくなるケースが多いようです。大いなる自然の摂理かもしれません。多すぎる年寄りから順に世を去るのです。私もその候補の1人になります。コロナに感染すればかなりの確率で向こう側に行ってしまうでしょうね。ということで、先日はお役所のすすめに従い、4回目のワクチンを打ってきました。そしたらこれもお約束のように翌日午後には8.6度の熱が出ました。からだもいつにも増してだるい。心拍数が上がる。

 レンは夏休みに入る前の日、わが家に帰ってきて、3時からさっそくタブレットを開きます。私が自宅のWiFiをつないであげたら、あとは自分ですいすいと操作しています。1年生ですよ。なんとかいうアプリを開けば、クラスみんなと先生の顔が並んでいます。おっといかん、私の顔が映り込んでいる。あわてて引き下がる。兄弟妹3人ともタブレットを貸し与えられています。あれけっこう重い。

 先日の新聞。ビートルズの「Get Back」の全面広告が載っていました。ディズニーのネットで放映されていたやつですね。これはその昔、「Let It Be」という映画があって、それが権利関係かなにか知りませんがずっとパッケージ商品化されなかったのを、同じ材料を使ってピーター・ジャクソンという監督さんが再編集したものです。私はこの映画「Let It Be」を試写会で観たんです。1970年、52年前、17歳です。田舎の高校生だった私が応募して、はるばる福岡まで行って観たんです。そして大感激したんです。それから待つことしきり。公開再上映でもパッケージでも、出たら必ず買うぞ(観るぞ)と思って52年ですよ。

 さっそく買いました。まだ観てはいません。ブルーレイ(もしくはDVD)3枚組というのがどうも長過ぎる。ディズニーが少しでも長尺で稼ごうとしているのではないかとつまらぬことを思ってしまいます。とにかくビートルズは次から次へと新商品が出ます。タネは尽きないわけです。ビートルズに限らずボブ・ディランもスプリングスティーンもニール・ヤングも全著作権を○百億円でどこそこのファンドに売ったとかという遺産整理みたいなニュースも次々と出てきます。ロックミュージックが完全にビジネスになって、金融商品化しています。つまらんねえ。そんなに稼いでどこへ持っていくんだ。世界中の若者の飢えた魂を救ってくれるんじゃなかったのか。

 まあ、とにかく聴いて(観て)みましょう。
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【181】それぞれの進学、進級 [保育園送迎記]

 前回このブログを書いからすでに半年以上たってます。体調面でなかなかうまくいかなかったりしてすっかりさぼってしまいました。ひさしぶりに「記事管理」のページをみてみると、それでも見てくれている人はいくらかいるようです。ありがたいことです。

 この半年は年度替わりがあって、ヒトシは中学生に、タックンは4年生に、末娘のレンは晴れて小学生となりました。レンはタックンに手を引かれて小学校へ登校を始めましたが、すでに一人で通っているようです。学校は「楽しい」と言っています。パパのタカシは相変わらずテレワーク主体で平日の3日間は在宅で、2日が出勤です。そのうちの1日はレミママも出勤ですが、その日はわが家へと帰ってきます。

 ヒトシはクラブ活動はなにをやろうかと迷っていましたが、なにを思ったか陸上部に入りました。たしかに小学校の運動会の徒競走ではよく1番になっていましたが、果たしてどうなるか。しばらく前に行われた船橋市の陸上競技大会では1年生のオープン参加による100メートル走で走った結果、組で1位になりました。

 こうやって現況を書くと、孫たちの成長は早いものです。ヒトシが保育園に通いだしたのはついこの間のような気がしますが、11年前。とってもかわいくて、いまでも送迎のたびに見せていた笑顔や言葉、しぐさが思い出されます。それがいまや思春期。体格も若者らしくしゃきっとしてきました。声変わりで低音で口数も少なくなり、ときどきメールをくれるようになりました。

 子育てもこれからが本番と言うか正念場に入ってきます。そんな時期に私はすっかり体力が衰え、十分な身動きができなくなってしまいました。私の場合は病弱化も加わりますが、老化というのは現実化するまでなかなか実感できないものです。これから孫たちとどんな関係になっていくのか、心配でもあり楽しみでもあります。


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【180】孫もジジも運動会(?) [保育園送迎記]

 朝夕はさすがに寒くなりましたが、日中は気持ちのいい小春日和が訪れます。こういう日があるから生きているのはいいものだと思えるような時間があります。なぜでしょうね。山へいくとこういう感覚を味わうことがよくあります。空は青く澄んで、空気は乾いて無風で暖かい。至福とも言うべき時間です。

 先々週の土曜日は小学校の運動会がありました。昨年はコロナ禍で中止だったので2年ぶりになります。今年もずいぶんとショートカットされたプログラムで、家族も2人までと制限が設けられています。でも息子夫婦からスマホで動画はすぐに送られてきます。ヒトシもタックンもかけっこは1位。4人1組で走るのですが、走るのは自信があるらしく、2人ともめずらしく懸命で得意な様相で走ります。自信があるときはいい顔をしています。私もそうだった。中学校まで、かけっこで1位以外だったことはなかった。来春からはヒトシは中学生。代わりにレンが小学校へ上がります。さて、レンはどんな走りを見せてくれるか。今から楽しみです。

 今座っている部屋の窓から黄葉したメタセコイアと真っ青な空が見えます。昨日近くを散歩していたら近所のお宅の庭の皇帝ダリアが見事に花開いていました(写真上)。今が季節らしく皇帝ダリアはあちこちに咲いています。これも最近よく見るのがアオジ(と思う)です(写真下)。スズメとよく似ていますが。ずっときれいな色をしています。そして群れずにいつも一羽で地面のエサを探しています。メジロやシジュウカラは居間から見える紅葉した山桜の枝にとまっては飛び立ちます。

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 これも先日、あまりうらうらといい天気だったので、鎌ケ谷大仏という新京成の電車の駅まで歩いてみました。健康な人の脚で25分くらいかかる距離です。からだが弱るとふだん気にもしない道路の上り勾配がとてもきついのです。上りにかかるたびに「きつい。帰ろう」と思うのですが、帰るにもきつさは変わりません。しょうがないから休もうとするのですが、座るに適当な場所がありません。しょうがなく住宅や畑を囲んであるブロックに座ろうとすると肉のない尻が痛くてたまりません。最近はネットで買った尻あてのクッションを持ち歩いていますが、これを忘れています。進むも引くも容易ならざる散歩ですが、なんとか歩きおおせました。駅中にあるパン屋さん併設の喫茶店でコーヒーを飲んで、バスに乗って帰ってきました。

 こうやって無理にでも歩かないと歩けないままになってしまいます。ちゃんとトイレを済ませて、時間に余裕を持って、スマホも持って、万端整えてからでないと歩き出すことはできません。一番こわいのは途中で歩けなくなって行くも帰るもできなくなることです。でも、そうやって歩きを続けていると、息苦しさなど改善されたわけではなくとも歩けるようになります。きつさに対する「慣れ」ともいうべき状態です。



 
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【179】ヒトシとタックンとレンのそれぞれの秋 [保育園送迎記]

 10月も半ばに差しかかろうかというこのごろ、30度近い気温です。いやですね。朝夕はさすがに秋らしくなりましたが、なんで今頃この暑さでしょうか。寒くなればなったでいやですけどね。この季節は郊外の日帰り登山などにもってこいの季節です。空気は澄んで遠くの山も見通せます。下りてからの一杯も格別です。日帰り温泉などあれば言うことなしですね。

 コロナ禍は一息つけそうですが、これからまた大きな山がやってこないとも限りません。ワクチンは1つの安心材料ではありますが、油断は禁物。寒くなってまたあたふたしないように万全の備えが必要です。

 5年ほど前に一緒に団地の自治会の役員をやっていた近所のOさんと久しぶりに顔を合わせ少し話し込みました。Oさんは私が2度目の手術をした少しあとに脳内出血を起こし、3ヶ月ほど入院とリハビリで過ごしたそうです。でも手術なしでなんとかふだんの暮らしを取り戻したようです。クルマの運転中に助手席に乗っていた娘さんに様子がおかしいと言われ、なんとか家にたどり着いて、奥さんが救急車を呼んでくれたとか。左腕がマヒしハンドルやギアを握る手が動いてなかったとか。でも自分ではそれとはすぐに気づかなかったようです。家族がいるということはありがたいことです。

 コロナ禍もあり、近くにいる孫たちもあんまり寄らなかったのですが、最近はまた顔を出すようになりました。ヒトシはちょっと見ない間に声変わりし、背丈も伸びてお兄ちゃんらしくなりました。タックンは最近はサッカーに夢中らしく、iPhone動画を見ると、ピッチを駆け回る姿もそれらしい格好になってきました。けっこう速いのです。末っ子レンは来春は小学生です。ランドセルもそろえてもらってうれしそう。そのころまでにコロナ禍も普通のインフルエンザなみの病気に収まってくれればありがたいのですが。

 このブログもすっかりほったらかしにしてしまいました。体調も芳しくなく、机の前に座ることも難儀で、居間でゴロゴロしていることが多くなりました。何とか体調と体重を少しでも回復させたいと思ってはいるんですが、ままなりません。今日はずっとストリーミングでマイルス・デイヴィスを聴いています。いいですね。元気が出てきました。

       こう暑いとヘビも冬眠のことなど忘れて遊び回っているらしい
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【178】オリンピックは終わったけど、大雨だ! [保育園送迎記]

 オリンピックがやっと終わりました。やっとというのはつい見入ってしまうからです。見入ってしまうとやたら疲れるのです。そりゃ選手たちも一生懸命で、ふだんのリーグ戦などとは身の入れ方が違います。野球でも日本シリーズともなると力が入りますが、オリンピックともなるとそれ以上のものがあるでしょう。それが全種目にわたるのですから、ただ観てるだけでも疲れるわけです。卓球でもソフトボールでも柔道でもサッカーでも同じです。ハラハラします。

 でももう終わりました。ひとつだけちょっと印象に残ったのが野球で決勝戦で勝ったとき、解説の和田さんが涙声になっていたことです。これはゴルフの松山選手がマスターズで優勝したとき解説の中嶋さんもそうでした。後輩の快挙に感激して泣いていました。自分たちが成し遂げられなかった仕事を後輩たちがやりとげたことに感極まっていたわけです。こういうのはいいですね。

 オリンピックが終わったら、やってきたのは大雨です。これほど広範囲で長期にわたる大雨、豪雨というのもあんまり経験がありません。私の故郷である福岡県筑後川沿いの田園地帯も長期にわたる雨に見舞われています。4年前の九州北部豪雨のときは甚大な被害が出ましたが、今回の雨はそのときほどの激しさはないようですが、期間が長い。ただひたすら降り続いているようです。まさかとは思いますが筑後川本流が決壊、氾濫ともなると大変な事態になります。そういうおそれを抱かざるを得ない事態が近年毎年のように起きているのです。

 そしてますます猖獗を極めるコロナ禍。東京の感染者が毎日5000人を超えるようになっています。撲滅はまず難しいでしょうが、なんとかウイルスと共存できるレベルにまで感染者を下げなけれなりません。時間の経過を待つしかないのでしょうかね。子供たちの間で感染が広がることがないように祈るばかりです。

 それにしてもなんという夏でしょうか。ここまで日常が壊されて不安がつのる日々を送るようになろうとは、生まれて70年弱ではじめてかもしれません。子供や孫世代がこれからも健康で過ごせる世の中であってほしいものです。

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【177】ワクチン2回目でやはり熱が出た [保育園送迎記]

 梅雨ですね。雨は好きですが、この湿気はいやですね。毎日雨でラジオ体操も休みが続きます。体がきついので、雨が降るとどっかほっとする気持ちもあります。毎週1回、呼吸機能の向上のためのリハビリを理学療法士の先生にやってもらっています。いくらリハビリをやっても失われた肺は再生しませんが、呼吸法や姿勢などで、いま残っていて使われていない肺を限界まで広げることはできます。

 また、同時に筋力を鍛えることで血流を活発化し、少しでも肺機能の向上を図ろうとしているわけです。ところがそうはうまくいかない。感染症による炎症はそういうサイクルをつぶしてしまいます。だからがんばってもがんばっても体力も体重もなかなか伸びてくれません。でもわずかずつですが改善傾向にはあるようです。望みを捨てずに続けるしかありません。

 一昨日はコロナワクチンの2回目の接種を受けてきました。2回目のほうが副反応が出るとは聞いていましたが、なるほど昨日の午後から熱が出て、夕方には38度を超えるまでになりました。体もだるいので早くベッドに入り、ぐっすり眠ったら、朝には平熱に戻っていました。寝がけにロキソニン1錠を飲みましたが、必要なかったかもしれません。早く集団免疫を獲得して、コロナ以前の生活に戻りたいものです。戻らない、戻せない、戻さないほうがいい生活もありますが、それはそれとしてです。

 緊急事態宣言が東京にまた出されようとしています。それにしても首相の説得力のないスピーチや説明、問答はかなり問題だと思います。こちらが聞いていてハラハラしてしまします。言わんとしていることの是非は別にして、理路整然とは遠い話し方です。また、質問されても質問の内容がわからないのか答えになっていない主張を繰り返す。「なんか、だまされたようだけど、面白いこと言うな」というのでもない。面白くもなんともない。声が腹から出ない、視線が定まらないので、実に頼りない印象を与える。やはり官房長官どまりがよかったんじゃないかな。はい、よけいなお世話です。





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【176】走り回る犬、ネコ、キジたち [保育園送迎記]

 先日はホトトギスの初鳴きの話をしたが、ほぼ毎朝、夜明けとともにほかの鳥たちの鳴き声にまじって聴こえるようになった。これまでそれとは気づかなかったが、キジの鳴き声も聴こえる。これは朝と限らず、ケーンケーンとよく響く声で鳴いている。よく聴いているとやはりニワトリの鳴き声と似ているような気がする。近くに広がる原っぱを走り回っているのを見かけることもある。

 近くにねぐらを持っている野良ネコたちの話もしたが、10匹ぐらいはいるようである。「ネコにエサはやらないでください」とあちこちにビラが貼ってあるが、毎朝ラジオ体操にくるおばさんが家から持ってきたエサを与えている。かとおもえば、エサをやりながら団地中を歩いているおばさんもいる。そのうちこの団地はネコ団地として有名になるかもしれない。先日も2匹の生まれたばかりの子ネコを見た。そのうち血走った眼をしてうろつきまわる野良猫だらけになるのではないかと心配している。(下は、ゴミ置き場を囲っているネットの上で昼寝をするネコ。)

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 イヌ、ネコを好きな人は多いが、こんなにかわいい生き物を嫌い(苦手)な人がいるとは考えないものらしい。これもラジオ体操の時間に公園にときどき現れる夫婦がいて、でっかいゴールデンリトリバー2頭を散歩させている。水飲み場では蛇口を開けっ放しにして、犬たちにその蛇口から直接水を飲ませている。犬たちは実にうまそうに水を飲んでいる。昼間、遊んでいる子供たちも同じようにして水を飲むところである。

 この話はやめましょう。一昨日、市役所の保健センターというところに行ってコロナワクチンを接種してきた。予約した時間よりだいぶ早かったが、すぐにやってくれて注射後の待機時間を含めても30分くらいだった。2回目の予約も済ませた。現場の力で日本は動いているのだな。注射自体が痛くないのは注射針が細いのかな。ただ、翌日には微熱が7度くらい出たが、これも1日で平熱に戻った。



 
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【175】ホトトギスが鳴いた [保育園送迎記]

 この年になって正岡子規『墨汁一滴』『病床六尺』『仰臥漫録』の三部作を読んだ。教科書などで部分的に鑑賞することはあっても全部を読み通すことはなかったが、自分の罹っている病気にも共通するものがあるのではないかとそういう気になったのである。むろん、病気の深刻度も治療の技術も全然違うが、読んでみるとわかることが多かった。

 NHKTVの「坂の上の雲」でも子規の闘病生活が描かれていた。子規(香川照之)が亡くなり、妹律(菅野美穂)が号泣する場面はとても感動的だった。でも実際は子規は律の気の利かなさを怒り、殺したくなるほどだとさえ書いている。また、病状の凄まじいまでの苦しさに死にたいと何度も書き、枕辺にある千枚通しや小刀のスケッチもしている。

 日経新聞でいま伊集院静が「ミチクサ先生」という夏目漱石を主人公にした小説を連載している。子規はじめ高浜虚子、寺田寅彦といったおなじみの人物が出てくる。何度これまで書かれてきたかわからないほど、この設定はおなじみだが、この小説は夏目漱石という国民的とまで言われる大作家がどうやって生まれたかを題材にしている。家族や友人、門弟たちをからませながら、著者の想像力よろしく書かれてあるので実際がどうであったかは別にして面白く読める。帝大を辞めて朝日新聞に入社したいきさつなども当時の新聞社間の競争などを交えておもしろく書いてある。

 しかし、今さらながら驚くのは漱石が作家として活躍したのは十数年に過ぎないということである。『我が輩は猫である』から晩年の『明暗』が書かれるまではたったの11年、38歳から49歳である。その間に日本の近代文学の基礎を築いた諸著作を書いたのである。しかも胃潰瘍から糖尿病、神経衰弱、痔疾と度重なる病気に苦しみながら。漱石と子規は同じ年である。お互いを尊敬し、刺激し合いながらあれだけの仕事をした。

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 先日早朝、ラジオ体操に通っている公園の木立からホトトギスの鳴き声が聞こえてきた。山の中で聞くことはあってもこんな里で聞くのははじめてである。よく響く。あたりを圧するような鳴き声である。ホトトギスは托卵をする他の鳥の繁殖時期を見計らって遅めに渡ってくるらしい。ほんとかね。そんなことがあったので子規の話につながるのである。

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【174】コロナ禍の日々、マンゴーを味わう [保育園送迎記]

 西のほうは梅雨入りとか。関東もすぐだろう。そういう雲行きになっている。小雨が振り、蒸し暑い。コロナワクチンの接種もやっとのことでその緒についたようで連日報道がかまびすしい。これがなんだかんだもたもたしながらも接種者が増えていくと、欧米と同じようにしだいに世の中が元気が出てくるようになるのだろうか。するとオリンピックもだんだんと開催賛成者が増えていく? 政府もそれを大いに期待している。(下の写真はもう散ってしまったがエゴノキの花)

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 ワクチンは量は十分に確保されていると言われても、自分の順番が来る前に感染してはなるものかと予約に必死である。気持ちはわかるなあ。政府の対応は後手後手と言われても、厚労省や医師会が思うように動いてくれないのである。国民もマスメディアも責め立てるばかりで、首相以下リーダーたちのストレスはたまるばかりだろう。結局は謝り続けるしかない、ということになる。前首相は逃げたのであろう。(下の写真は公園のなかにねぐらを持つ野良猫たち。7,8匹はいる)

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 毎朝のラジオ体操での話題はもっぱらこのワクチン接種である。電話をかけ続けてもつながらないというのはいずこも同じである。集団接種ではなくかかりつけのクリニックであれば、予約が取れたという声も聞くようになった。日本でこれまで感染した人は72万人で、全国民の約0.6%の計算になる、死者12300人である。これがアメリカだと3300万人と59万人となる。IOCが「オリンピックはやる。やれる」と強硬に言い募るのもわかる気がするのである。

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 さて、この季節いつものように宮崎からマンゴーが届いた。友人がその友人の生産者を通して送ってくれるものだが、大事に育てられた真っ赤なマンゴーである。息子家族と1個ずつ分け合って食べるので貴重な味覚だが、なるほど妙なる味である。このようなぜいたくをしているコロナ禍の日々である。
 
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