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〈3〉ひとりぼっちで予備校でがんばる [ちょっと寄り道〈1971~〉]

 予備校の大教室に通うことになった。この下宿から青梅街道を越えて中野駅まで行って、地下鉄東西線で高田の馬場まで通う。間に落合駅があるだけだから5分くらいだ。大教室はへたするとうるさいばかりで講師の声が聞こえなかったりするので、一番前の席にいつも座るようにした。そして誰とも話さない。友人もいないし、作ろうとも思っていないので、ただひたすら授業のテキストを予習復習しながら勉強するだけである。

 なにしろ高校時代の3年間は、入学時こそよかったが(つまり中学時代までは成績がよかった)、その後は下がるばかり。卒業する頃は後ろから数えた方が早いような成績になった。とくに数学・物理といった理科系科目はほとんどゼロ点。試験のときは、問題用紙が配られてしばらく考えるふりをするがさっぱりわからないので、すぐに教室を出て行った。

 というような事情なので、当然、大学は私立の文科系しか受験できない。私の場合は、英語・国語・日本史だ。予備校ではこの3科目を徹底して勉強した。予備校だから毎週試験があり、そのたびごとに順位が張り出される。最初は中の下くらいだったが、だんだん上位に食い込むようになり、年度の最後の方は3科目とも上位5番目くらいに毎週入るようにまでなった。なにしろ後がない。九州から出てきて、仕送りをしてもらっている身だから、落ちても2浪というわけにはいかない。落ちたら、上京前にやっかいになった工事現場の飯場にまた潜り込もうかとさえ考えていた。

 しかし、高校時代あれほど勉強しなかった自分が、もう後がなくなり、やるしかないとなったらやれたのである。あとにもさきにもあれほど勉強したのはあの1年だけだったといまだに思う。もっともテクニックと暗記(と慣れ)が大きくものを言う限られた範囲での受験勉強を「勉強」ととらえればの話で、創造性のある本来の勉強はとうとうできなかったと言っていい。そんな勉強でも試験ができ、順位がみるみる上がればそれなりの達成感があるものである。年度の最後のほうでは、この順位なら早稲田大学のいくつかの学部なら大丈夫というところまでこぎ着けた。(つづく)

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        (北アルプス蝶が岳から穂高連峰を望む/1990年頃)
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