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〈6〉大家さんに窮地を救ってもらう [ちょっと寄り道〈1971~〉]

 どう見ても低調な大学生活だが、それに輪をかけるような病気をする。タバコは浪人時代から飲んでいたが、大学に入って、酒も飲むようになった。私は浪人時代の貧しい食生活もあってだいぶやせたが、もともと身長が180㎝を超え、体重も70㎏以上ある。体力には元々自信のあるほうで、病気やケガとはまったく無縁であったし、不死身くらいに思っていた。しかし、タバコ、酒、昼夜逆転の生活、を続けているうちに、健康を害していたようだ。

 73年の師走、サークルの仲間と麻雀をやっていたら、急に腹痛がしてきて、耐えきれないほどの痛みが襲ってきたので、面子を代わってもらい、帰宅しようとしたが、大学を出たあたりで、歩くこともできずうずくまってしまった。通りかかった親切な学生さんが近所の町医者まで連れて行ってくれた。そこで鎮痛剤を注射してもらったら楽になったので、下宿まで帰って寝た。しばらくしてその鎮痛剤が切れたのだろう、夜中にこれまで以上の猛烈な痛みが襲ってきた。七転八倒、とうとうがまんも限界で、階下の大家さんに助けを求めた。大家さんが救急車を呼んでくれて、近くの救急病院に担ぎ込まれた。宿直の外科医がお腹の様子を見て、腹膜炎の怖れがあるというので、その世は鎮痛剤で眠り、翌日緊急に開腹手術を行った。

 お腹を開けてみたら、十二指腸穿孔であった。胃潰瘍が進み、胃酸で十二指腸に穴が空いたのである。あのままほっといていたら、腹膜炎で死んでいたかも知れない。いったんお腹を閉じ、2週間後に再手術して、胃を切除することになった。いまは薬もいいものができて、胃潰瘍でも薬で抑えることができるが、当時は、胃の切除手術は普通に行われており、われわれ年代以上の人には胃を取った人が多い。ま、いずれにせよ私の場合は消化器に穴が空いたので薬では間に合わないが。

 病院に救急車で担ぎ込まれて、翌日手術を終えるまで、大家さんが付き添ってくれた。ベッドの脇に横になって徹夜で看病してくれたのである。朝になって、九州の実家と幾人かの友人に連絡してくれた。その翌日、九州から伯父と母がやってきた。西も東もわからず、住所だけを頼りに羽田空港からタクシーに乗ってどうにかたどり着いたのである。このときの右往左往ぶりを、その後もずっと伯父から聞かされた。友人連中も毎日入れ替わり立ち替わり見舞いに来てくれた。

 1回目の手術から2週間後に2回目の開腹手術を行い、胃を5分の4も取った。年末年始を病院で過ごし、45日入院して翌年の1月半ばに退院した。足腰が弱って、外に出たとたんよろけてしまった。胃を切る手術は術後が肝心である。食事は少しずつしか取れないから、何回にも分けて食べる。少しでも量を過ごすと、胃もたれで涙が出るほどきつい思いをする。ダンピング症候群である。消化能力が落ちているから、さらに血流は胃に集中して、頭がもうろうとしたり痛くなる。これにはいまだに悩まされている。とくに天ぷら、すき焼き、うなぎ、とんかつといった脂っぽい物はだめである。とくに安っぽい油を使った料理は胃が受け付けないからいっぺんでわかる。

 世の中は石油ショック(第1次)でトイレットペーパー騒ぎやら狂乱物価やらでで騒然としていた頃である。久しぶりに大学へ行って、欠席した英語のテストを1人で受けさせてもらったりした。(も少しつづく)

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          (湯島天神/茅の輪くぐり/6.19)





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