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〔3〕私が聴いてきたボブ・ディラン [みたび寄り道]

 ボブ・ディランで言えば「ブロンド・オン・ブロンド」が出た頃である。もう45年以上も前のことになる。いまだに現役ばりばりで世界中を飛び回って、ロックの伝説を生きながら体現している。私は傾倒すること今現在に到る。おそらくロック音楽に限らず、世界中に文化・思想面などで影響を与え続けてきた偉人とも言える人物である。

 このボブ・ディランの日本で最初のコンサートを武道館に聴きに行ったのはいつのころであったか。調べたら78年とあるから38年前になる。目の前でディランが歌っている。もうそれだけで特別な時間が流れるのである。それ以後、来日した時2度聴きに行っている。愛想なし、サービス精神なし、曲目紹介もなしで、歌うたびにアレンじをを変えて歌うから、どの曲かわかるのは演奏が始まってしばらく聴いたあとである。最後までわからないこともある。

 浪人時代、難解で知られる彼の歌詞を辞書と首っ引きで訳そうとしたことがある。レコードについている日本語の訳詞がさっぱりわからないからである。英語の勉強にもなるかと思って。「My Back Pages」という、感動的なメロディで自伝的な内容である。全部の単語を辞書に当たっても「なんとなく」しかわからない。彼の曲はほとんどが文学、宗教、歴史、民族伝説、などの素養を元にレトリックを駆使しているので、理解がすこぶるむずかしいのである。アメリカ地元でもディラノロジストと呼ばれる研究者が解釈に躍起になっているくらいだから、文化や宗教の背景が違う日本人が理解しようとしてもできるはずがないのである。

 もっとも彼自身がそういう解釈ごっこにいやけがさして、いつの頃からかアルバムに歌詞カードを入れないようになった。「あんなもん、意味がない」と彼自身が言っている。(しかし「風に吹かれて」「ライクアローリングストーン」といった初期の代表作は文学的な詩ではあるがこれはよくわかる。誰が読んでも見事な詩である)

 彼の最盛期は、この「Blonde On Blonde」にいたる「Bringing It all Back Home」「Highway 61 Revisited」あたりで、もういつ聴いても、なんべん聴いても飽きない。日本で言えば昭和40年頃。50年前である。もちろんその前のフォークソング(プロテストソングなどとも言われた)時代のアルバムも緊張感にあふれた傑作揃いである。さらに近年もさらに進化した曲を盛んに生み出し、現実にセールス面でもトップを取ったりしているからもう化け物である。

 今はもういいおじいちゃんで、ときどき孫が通っている幼稚園に行って、ギターを弾いて歌って聴かせるのだそうだが、「またへんなおじいちゃんがきてる」と園児たちから不審がられているそうな。私はいつのころからかディランは宮沢賢治に似ていると思うようになった。なんべん読んでもわけがわからん詩。でも言葉がキラキラして読む人を引きつける。でもときどきわかりやすいふつうの言葉を使って深いことを表現する。(「雨ニモ負ケズ」と「フォーエバーヤング」)

 (もう一つ興味を引かれるのがユダヤ人という人種についてである。ボブ・ディランの祖父母はユダヤ系のロシア移民である。この後で触れるマーラーもバーンスタインもサイモン&ガーファンクルもユダヤ人である。これはまた考え出したらキリがないから、また別にしよう。)

 私はステレオも待たないのだが、レコードだけはなけなしの金をはたいて買っていた。はじめてステレオを買ったのは大学に入ってアルバイトで稼いだお金が貯まってからである。最初にかけたのはディランだったかビートルズだったか。寝ても覚めても聴いていた。さてまた高校時代に戻る。

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