SSブログ

〔4〕あの時代の登校拒否、ひきこもり [みたび寄り道]

 高校時代からの友人Sについてはいろいろな思い出があるが、今で言う登校拒否、引きこもりをしょっちゅうやっていた。もう1人の友人Tも性格は違うが、登校拒否の常連だった。今と違って、いじめとか心の病とはまったくとは言わないが、あんまり関係なかった。要するに学校へは行きたくない。あんなとこに行っても意味がない、ということであった。Sの両親は学校教師で、昼間誰も家にいないので、彼は夜中起きていて、昼間はいつまでも寝ていた。

 われわれの担任はI先生といって、この先生も変わり者で自由放任、なんにももうるさいことは言わない。授業はすぐに脱線して関係のない話ばかり。Sが今日も教室にいないとわかると、私に「迎えに行ってこい」と言いつける。私はこれ幸いとばかりバイクでSの家に行く。Sを起こして、彼が持っているステレオで、ピンクフロイド、キンクス、ムーディブルース、ザ・フー、ドアーズ、ウイッシュボーンアッシュなどをひとしきり聴いてから、彼を乗せて高校に戻ってくる。

 もう1人のTも迎えに行ったことがある。こちらはどうも家族関係がネックのようである。1人母屋と別棟の納屋の2階に寝ていた。私が迎えに行ってもこちらもまだ寝ている。雪の降る寒い日だったが、納屋の2階だから雪が吹き込んでくる。よくあんな寒いところで寝られたものだ。SもTも結局は留年したが卒業して、Sは東京のM大に、Tは地元福岡の農業専門校に進学して自宅農家を継いで柿農家になった。

 60年代後半はビートルズの最盛期であった。さらにボブ・ディラン、ローリングストーンズ、ビーチボーイズなど歴史的なバンドやアーティストが、プレスリーが一時の勢いを落とした時代にロック界を席巻した。そこへサイモン&ガーファンクルというデュオが登場した。当時はフォークロックとか言っていたが、名曲、名歌、名歌唱でわれわれ若者をとりこにした。「レット・イット・ビー」と「明日にかける橋」が同じ年のナンバーワンを競ったりした。ポール・マッカートニーとポール・サイモンの両ポールが希代のメロディーメーカーとしてたたえられたりした。そういえば「卒業」という映画が大ヒットしましたな。ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスでしたっけ。かわいかったな。

 サイモン&ガーファンクルが何度目かの再結成をして2009年に来日公演したとき東京ドームまで聴きに行った。「アイ・アム・ア・ロック」「冬の散歩道」そして「ボクサー」……ナツメロメロディーはやはりじんとくる。2002年にはポール・マッカートニーのコンサートにも行ったが、これも出だしの「ドライブ・マイ・カー」が演奏されだしたとたん感動して涙が出そうになった。だって、ビートルズが目の前にいるのである。田舎の高校のあんちゃんが、月よりも遠いところにいるポールやジョンにあこがれていた時代を思えば、わかるではないか。
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。